人間、愚痴を言うことは必要で、愚痴を聞いてくれる相手がいることは幸せ。だが…

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愚痴を言うことは長い人生にとって大切だ。何故なら愚痴る事でストレスを発散することが出来るから。

ストレスが溜まると、いつかは爆発する。それが体や心の健康面であったり、喧嘩になって人間関係を損ねたり…だから何処かで吐き出さなければならない。

ただ、愚痴を言うには相手が必要だ。会社帰りの居酒屋で愚痴を言い合える会社の同僚、いつでも話を聞いてくれる配偶者や友だちなどなど…。そういった「愚痴を聞いてくれる人」がいることが前提となる。

ストレスを抱えた人の中には、この愚痴を言う相手がいない人も多い。愚痴さえ言えず、潰れてしまう人もいる。

たかが愚痴、されど愚痴。

ただ聞くだけで良いのが愚痴。たかがそれだけなのだが、安心して愚痴れる相手がいないと、それが出来ないので、ストレスの蓄積は尋常ではなくなる。日常生活に大きく影響してしまう。だから愚痴を言うことは大事。

だが!

愚痴を愚痴だけで終わらせては勿体無い。せっかく相手が聞いてくれたのだから、最終的には「だからどうする」といった自分の意見や決意を言って前を向いてから話を終わらせたいものだ。

向上心のある人間と、そうでない人間の差はココにあると思う。

愚痴だけで言ってストレスを軽減しても、ある一定の時間が経てば再びストレスが溜まる。それは自分が潰れないためには必要なのだが、何時もここで止まっていて、ここまでの繰り返しを続けるのは不毛だ。単なる「うだつの上がらない人」に過ぎない。

せっかく愚痴る不満があるのだから、それを吐き出すだけじゃなく、「それだから自分はこうする」といった解決策や展望や決意まで話して、将来の自分の発展に繋げるべきだと思う。それが向上心。

愚痴が出るということは問題があるということ。問題点を口に出すのが愚痴。だから問題点は分かっているので、ここで止まったままではいけない。

ここで止まったらダダのバカ。分かっている問題点をどのように解決するのかを考えるのがまともな人。

日常にあるストレスを上手く利用して、自分の成長に繋げよう!

そして、私…自分自身は「良い愚痴の聞き手」であり、「前向きな愚痴の語り手」でありたい。

そして、愚痴が出たら自他ともに対して「それでどうする?」と問いかけたい。

wakuwaku