意味も分からず「性善説」を前提に物事を考える日本人の不思議

孟子の「性善説」は人間の本性についての1つの説に過ぎない。しかも不完全であり「悪」についての説明さえ出来ていない。

他方、荀子の「性悪説」は多少趣きが違って、人間が生まれながらに「悪」であると決めつけている訳ではない。人間の持つ弱さで「悪」の方向に行きがちだと言っているに過ぎない。

これら2説の他に「善悪どちらでもない」といった説も存在する。

それぞれが完全な説明を出来ていないので、それらが正しいのか間違いなのかの決定打に欠けているというのが事実。

然るに…日本人は何故か性善説で物事を考える傾向にあるようだ。

そして説は説であって、あくまでも一説に過ぎない。研究結果でも実証された理論でもない。

それなのに日本では性善説を前提とする傾向が強く、たとえば…

「無人販売」といったものは、みんな正直におカネを支払ってくれるという前提で、極めて日本らしい発想。日本国内だけでしか通用しない。日本人の「性善説」神話を絵に描いたようだ。

国防についても、日本は専守防衛で平和的な憲法を持った国だから、他国から攻撃されることはないと考える人々が相当数存在する。話せば分かるといった感覚のようだ。これも、他国には善意があると勝手に信じているので性善説が根拠だと言える。

性善説はコチラの都合なので、他国には関係ないのに 笑。

そもそも…全ての人間が生まれながらに善ならば、警察も軍隊も必要ないだろうに。犯罪や戦争など起きないはずなのだが…日本人の性善説は、悪意をもつ他国にとっては攻めやすくて有り難い理屈だ。

人や国家の善悪は「人による」かつ「状況による」…と考えるのが妥当であろう。

つまり、生まれながらに人の善悪が決まっているのではなく、本人の性格と周囲の環境や立場によって良くも悪くもなり、一個人をとっても、生きている間に善悪両方の言動や行動をしているハズだ。

世の人々が「必要悪」といった考え方を受け入れるのも、その曖昧さからではないのか?

人間に完全無欠の善人は存在しないし、生まれながらの悪人も存在しない。誰でも善と悪の要素を必ず持っている。

まぁ、性善説を信じるのは個人の勝手だが…国内ならまだしも、世界的には無謀ではないかと思う。なぜなら人類の歴史がそれを証明しているので。

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